Haconiwa Farm

障がい者の自立

障がい者就労支援事業所「わらくや」との連携から生まれる自立への取り組み

ハコニワファームは、障がい者就労支援事業所「わらくや」と養鶏にかかわるスキルを訓練した障がい者と共に運営されています。

その中で、ビジョンの一つでもある自立への取り組みは、単に、生活できるということではなく、仕事も、金銭も、心も自立するということです。

自立支援として「わらくや」指導のもと、ハコニワファームで研修し、できること・できないことを互いに共有・認識しながら働いてもらいます。その後、ハコニワファームに就職、そして就業と共に次のスタッフを育てながら自身の成長と自立への道を進みます。

また、重要なのが「事業利益からの適正な給料」です。ハコニワファームでは、障がい者支援で受け取ることのできる国からの給付金も一切受け取らず、自身が働いた適正な給料で生活できる仕組みで、働くことの喜びや責任感を共有しています。

この仕組みの中で産まれる「箱庭たまご」。

ご購入いただいた購入代金は、みんなの「労働の喜び」であり、「自立に向かう意義」になります。ご購入者様も含めた「連携」が次なる未来へつながると考えております。

ハコニワファームに就職するスタッフ

病名:パーキンソン病
年齢64歳
東京都出身 幼少より真岡市在住

(生い立ち)
中学校卒業後、職業訓練校に入り建築を学ぶ。
卒業後、父が経営する建設会社に入社し12年勤務。父との確執で退社する。
その後、2社目の建設会社に入社、主に現場監督業を担うが、在職中、雨の日に寒くもないのに身体が震えてしまうことが続くようになる。その症状が現れてからは、少しずつ体の動きが悪くなり、周囲からも異変を指摘されるようになった。その後、右腕が肩の高さまでしか上がらなくなり通院するようになる。平成15年4月ごろ、整形外科で検査を受け赤十字病院に紹介を受け、パーキンソン病と診断される。
その後も同社で仕事を続けるが平成22年1月、病状の悪化と事業縮小で退職。平成22年11月に食品会社に入社、暫く継続するも冷凍庫作業だったため身体症状が更に悪くなり、平成24年9月に退社することになる。

(わらくやとの出会い)
それからというもの、身体症状は悪化の一途をたどり、どんどん身体は動かなくなりました。当然のことながら、身体が動かなければ職を探しても就くことができず生活困窮状態となり、平成25年3月から生活保護受給者となりました。
平成27年になるとほぼ寝たきりの状態で、生活の移動はオムツを履いて自衛隊のほふく前進のような姿勢で、地べたを這いつくばって必死に移動するような状況でした。その状況を見かねた疎遠の父から同居を勧められ、平成28年2月から同居するようになりました。
その後、治療の効果も表れ始め少しずつ立位で生活の移動ができるようにまで回復しました。しかし、そのような状況で車の運転すらできず、更に60歳を迎えようとしている私には、仕事に就けるような場所はどこもありませんでした。

父と同居して3~4ヶ月が経過した平成28年6月ごろ、様々な障害を抱える人達に対し仕事場を提供してくれる施設があるとハローワークから紹介を受けました。それが「わらくや」だったのです。父と同居はしたものの、これまでの確執が解消されたわけでもなく、出来れば仕事に就いて生活の自立をしたかったので、どんな仕事でもやろうと思ってました。
「わらくや」からは当時手伝っていた養鶏場での卵の収穫を担当して欲しいとのことでした。実は以前、鶏を飼育した経験があったので、ある程度環境が厳しいことは理解していましたので、現場を見学しても大丈夫でしたね。

平成28年7月からわらくやに入社させていただき、毎日休まず働けることに喜びを感じました。本当に有難い、感謝ですね。
仕事をするようになり、生きる活力も少しずつ出始め好きなこともできるようになりました。
それからというもの、日に日に見違えるように病状が好転し始め、仕事も生活も普通に出来るまでに回復したのは、当時を振り返ると正直驚きです。今では自分で車を所持して運転して通勤も出来るんです。誰が驚いたって医者が1番驚いてますね「こんな事あり得ない、奇跡だ」と。そうですよね、寝たきりからの復活劇ですものね。

仕事をして自立した生活を営むって当たり前のことですが、私を始め様々な障害を抱えた人が「自立した生活を営むこと」「当たり前のこと」って本当に大変なことだと感じます。
でも、諦めなければ必ず達成できると思います。
それを感じることができたのが「わらくや」であり「ハコニワ・ファーム」なんですよね。

実はもう直ぐ65歳で、高齢者の仲間入りです(笑)
でも、まだまだ現役でバリバリ仕事したいので、これからもよろしくお願いします。

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